痙攣を起こした翌火曜・・・
昼頃見に行くと
いつもと変わらない姿でキクちゃんは過ごしていてくれました。
翌々水曜も
栄養缶を1/4缶ではあったものの食べてくれ
少しだけでも食べる気力がある事にホッとしつつ
その週は雨が続いていたせいで濡れてしまっていた体も拭いてあげて・・・
キクちゃんもずっと頭をすりよせてきてくれたので
沢山沢山撫でてあげました。
それが元気な姿をしたキクちゃんとの最後の時間でした。
木曜午前中にMさんが様子を見に行ってくださった時には
キクちゃんはいたそうなのですが夕方には姿を消していたそうです。
とても暖かい日が続いていた中
その日は夕方になるにつれ、急激に冷え込んでいった一日でした。
そして金曜日の夕方・・・
「キクちゃんが亡くなった」と電話が入ったのです。
真っ青になりながら、とにかく電話をくれたMさんをひろって
キクちゃんの所へ向かうと
FさんやKさんコンビも既にかけつけてくれていました。
実はご近所の方が倒れていたキクちゃんを見て亡くなっていると思い
一度引き取り業者さんに連絡をいれてくれていたそうなのですよね。
でもまだキクちゃんが生きている事に気づいて取り消してくれたとか。
そのまま連れていかれていたら消息不明となってしまったと思うし
取り消してくれてほんとに良かったです。
ただ・・・キクちゃんはもう体をおこす力もなく
倒れたまま足をしきりにばたつかせ
はっきりとした意識もあるのかないのか・・・
覚悟していたものの、いたたまれない姿に涙がとまらなくて・・・
とにかく病院へと頼まれ向かったのですが
車中でもキクちゃんはずっと足を動かし続けていました。
私の中では 病院へ行く イコール 安楽死 で
以前からMさんとは話していたのですが
野良さんとして生きているキクちゃんにとって延命治療など意味がなく
その時が来たら眠らせてもらおうと思っていました。
案の定、病院では、延命治療の話と、
状態からもって半日か1日・・・その間病院で看てもらうか
そして安楽死か・・・
先生に答えを告げ・・・
あっという間のお別れの中で
キクちゃんはそれでも足に力を入れ爪を立て尻尾を膨らませ
最後の最後まで体全体で生きたいと訴えていました・・・
気付くと尻尾もなぜか傷だらけだったんです。
先生は倒れている間にこすれたのではないかと言っていました。
砂利道だったせいなのか・・・
どれだけ倒れていたのか・・・
そんな姿を見ると、判断した事は間違いではないのだと思っているのだけど・・・
どんなにキクちゃん自身が辛かろうとも、
キクちゃん自身の力で最後まで頑張らせてあげなきゃいけなかったんじゃないだろうかと
まだまだ頑張りたかったんだろう、不本意だったろう・・・と
今はただただ、それが後悔となって残っています。
1年前に口内炎がひどかったチロが亡くなり
キクちゃんもその時既にひどい状態だったので
なんとか食べさせないとと目指して通っていたのもあったので
なんだか心にぽっかり穴があいた様です。
キクちゃんとのつきあいも、初めてココを訪れた時から始まっているのですから9年です。
「生きる」という事をあんなに考えさせられる猫さんに会った事がありません。
猫さんと話せる超能力があるなら
キクちゃんには聞きたい事がいっぱいあった。
キクちゃんみたいな猫さんにはもう二度と会えない気がする・・・。
ほんとにすごい猫さんでしたね・・・。
痙攣をおこして復活した後
Fさんご夫婦とMさんと私の間を
交互にずっとずっとすり寄っていた姿が今でも忘れられません。
もう一度復活して、みんなに会いたかったよね。
ほんとごめん・・・キクちゃん。
写真↑はちょうど1ヶ月程前の1/13の雪がつもった日の写真です。
体がぼろぼろでもどんな日でもキクちゃんは頑張っていました。
ここで生まれ育ったキクちゃん
今冬いつも過ごしていた穴蔵の横で眠っています。
その穴蔵には一緒に無理矢理入ってきていたガクちゃんが
今は一匹で過ごしています。
2月12日、キクちゃんとお別れした日です・・・。
看護婦さんが最後に「このコは美人さんだったね」とつぶやいてました。
ぼろぼろだったのに・・・看護婦さんにはわかるんですね。
ほんとに美人さんだったんです。
すごいな・・・と泣きながら思いました。
古株さんはもう、キクちゃんの孫のみっこちゃんだけです。
寂しくなりましたね・・・。